NHK大河「光る君へ」6 今回は長めの感想と解釈

第六回「二人の才女」

今回いたく感動するのは国学も漢学もたいそう苦手で文のやりとりも避けていた道長様が、まひろを想う一心で頭を捻り言葉を紡ぎだす姿である。渋々ご出席になった漢詩の会では治世など知ったことかと恋を綴り、まひろのためなら気を逸らせて筆を手にとる。これまでLINE未読スルーだった男子が、返信を待たずに連投してくるのである。

ちはやふる 神の為垣(いがき?)もこゑぬべし こひしき人の みまくほしさに

愛しい人をひと目垣間見るためなら神の生垣すら越えましょう…身分差だろうが恨む男の身内であろうが、その越えられない壁を越えてみせましょう。あなたに一目会いたいのです。

えっめっちゃ好きやんけ。上手とはいえぬが懸命に認めた直筆がまた良い。代筆など要らぬ。そうだそうだ。しかも知ってか知らずか、まひろの母の名はちやはである。道長様は意図せずとも、まひろは意味を重ねたのかもしれない。異界に旅立った母が愛しい娘に一目会いたいと願うとき、それこそ天世と現世との井垣をも超えてあなたのそばで見守っていますよと。もし道長様に含みがあるならばそなたの母君のことも片時も忘れずお気持ちに寄り添いますと告げているのだ。

さて冒頭に戻ると、道長様ご本人の意向を他所に、右大臣家三郎君と左大臣家一の姫の縁談が固められつつある。倫子様、詮子様、兼家様と三者三様の思惑で利害が一致してしまった。宇多天皇の血筋、土御門殿の財、左大臣とのつながりを是とし、己のナイスアイデアを息子に打診する兼家様だが、相手は目をかけている読めない三男坊である。切り出す際にちょっと声がうわずっているのがお可愛い。ここだけはただの父の顔である。そして意中の女がいるを察すると、あーいないよねいないいない、と言霊で掻き消すのであった。しかしかの事件について核心に触れるや一転、道兼はお道具、と言い切る非常な父。道兼といい道綱といい一族を率いる器に足りぬ者には厳しいのであった。

赤染衛門の講習会、本日は蜻蛉日記。めでたく縁談のまとまった顔の四角いカップルのお祝いも兼ねている。恋愛はともあれ結婚において意外とこういう共通点は大切なのだ。おかしきことこそ、めでたけれ。閑話休題

まひろが語る蜻蛉日記の解釈はまひろの行末そのものである。高貴な殿に身分を超えて愛されてしまう私。正妻になれずお可哀想?いえいえ彼の心に住まう女人は私でございますよ。と情熱的に匂わせる。いや匂わせどころかこれは熱烈な公開ラブレター。想い人にも自分の日記をリアルタイムで読まれて良いだなんて平安のお貴族様は心臓に毛が生えている。それを愛読書とするあたり、まひろにとっても恋の自慢話は美学なのであろう。それに道綱母の独り相撲と思いきや次回の予告で赤ちゃんに戻った兼家様の差し込みが。泣きつく先はどなたのお胸ですか。楽しみである。

衛門に意見を認められ嬉しくなったまひろはつい差し出がましくも写本をお貸ししようとするが倫子様は「要らないわ」一言でぴしゃりとお断りする。この断り方、いっそ清々しい。まひろから生き方を曲げられない性分であるを伝えられても、気まずい雰囲気を残すことなく「苦手は苦手、ということでまいりましょうか」とまとめあげる倫子様のコミュニケーション力は計り知れない。

そしていよいよ漢詩の会。ガールズバーで接待されるよりも勉強会が好き。若手の心を掴むには、この令和でもきっとそうなのだよ。お題が「酒」なのもまたパンチが効いている。人心掌握に長けた道隆様に若人の支持は傾いた。若手が飲み会に来ないと嘆く昭和スタイル上司勢は見習おう。政治的な思惑だけではない。道隆様は若人を柔らかく慈愛に満ちた目で見ているのだ。会に遅れてきた道長様にもよくきたねというふうに温かい眼差しを送る。こら何時だと思ってるんだ?遅刻の理由を述べよ、不作法者は出ていきなさい、などとは決して言わない。五節で居眠りする道長様を忌々しそうに小突いた道兼様とは対照的だ。漢詩の会で最も立場の低いであろうまひろにも発言の機会を与えている。懐と造詣が深い理想の上司なのである。

そしてタイトル回収「二人の才女」が満を持して運命のご対面だ。道綱母や後の紫式部に負けず劣らずぐいぐい前へ出る才媛、後の清小納言の登場である。諱はききょうという設定。この空気を読まずに思ったことを言う感じ、イメージ通りで快演である。衣装を見ればわかるに二人の才女、ききょうの方がずいぶんと裕福そうだ。お父さんもこの会の主幹事だし。公任の詩評を指名されたまひろが言い終わるやいなや、あらぁそうかしらぁ?と意見を求められていないききょうが口を挟む。結果、話題を掻っ攫ったのはききょうであった。そのでしゃばりを若人たちはわいがやと寸評する。好ましいかどうかを問わず強烈に殿方たちの印象に残ったのである。公任の評にしてもどちらに軍配かとするならばききょうが相応わしいものだったろう。だってまひろの講評は道長に向けたものだから。

 

(追記)古典引用、一部引用について。修正あり。

ちはやふる 神の斎垣もこゑぬべし 大宮人の 見まくほしさに(伊勢物語)

ドラマ内の歌を現代歌人に読んでもらうのか気になっていたが基本は古典利用のようである。おそらく道長の恋文も借り歌という扱いではなく、このドラマの中では本人が読んだという設計ではないかと思う。なぜなら劇中の道長はまだそこまでの教養がないからだ。内裏のお勉強会ではいつも筆が止まっていた。不勉強者が記憶の歌を即興で認められるだろうか。しかも漢詩の会では当日まひろがその場にいることもお題が酒であることも知らなかった。それに本人作でないと漢詩の会でまひろが評した白楽天のような…という台詞が噛み合わない。突然に公任の歌評を請われハッとするまで、まひろの胸の中にはずっと道長の詩がぐるぐると渦巻いていたのである。だからつい白楽天と言ってしまった。白楽天の歌を白楽天のようなと例えてしまったら例えにならない。それに道長様は代筆など要らぬ、と言っていたではないですか。借り歌もさほど好まないのではないかな。

・(追記訂正)再放送を見て。第7回の前に再放送でおさらいしたのだけど、漢詩の会は彼らでいうところの古典を選ぶものだった。よく聞いてたら明確に「選ぶ」といっていた。公任のときだけ「作」とも。なので道長は本当に白居易の詩を捻り出したのだ。がんばった。字は下手だし誤字もあるが苦手な漢詩もまひろに思いを伝えるためなら乗り越えたということだ。実際に道長は誤字が多かったという。それにまひろの父が間違いもうまくフォローして読み上げる勧進帳をしていそう。公任の評を促されたときまひろは道長のことで頭がいっぱいだったからつい白楽天のようなと口にしてしまった(ここは解釈同じ)。それは道長にとって返歌に等しい。他の参加者に酒歌は恋の詩とは映らないし、評も白居易を持ち出した今どきの無難なものと受け取られただろう。まさに二人だけのコール&レスポンスだったのである。

・さらに来週分のチラ見せ番組を見た後の感想。まひろは道長様に駆け落ちまで打診されてる。であればもうこの「見まくほし」は結婚してくださいとほとんど同義である。兼家様から縁談話を持ちかけられたときはすっとぼけていたが高速で脳内計算していたのであろう。下手を打てばまひろが父に消されかけない。子飼いの為時に圧力もかけるだろう。バッドエンド回避のために道長が次回うご

(追記の追記)

・この大河ドラマ、詠唱が入るや古典オタクはどれだ?あれだ!借り歌だ!とついそわそわしてしまうが、大河ドラマは視聴者の裾野がとても広い。おそらく古典知識がなくとも楽しめるようにドラマ内では借り歌としていないのではないかな。注釈が入らなければそれは本人が詠んだと思ってよし、それで通じるつくりになっている。本歌を知ってる人や気になる人はあれだな?と内心でニコニコすればいい。視聴前に古文の教科書と便覧を引っ張り出さなければ視聴者としてスタートラインに上がれない、なんてことはない。

 

その他メモ

・あまりに良くて3000字超えてしまった。

・女御たちの伝言、ありんこみたいだった。

・今回はクレジットを見た。はじめてきちんと見たかもしれない。オープニングのここに書いてあったんだ。いつもオープニングは聴くだけだった。だから配役がわからなかったんだ。

テーマピアノ演奏、反田恭平!!

吉高 柄本 黒木華 井浦 吉田羊+蔵之介(このあたりは名前見ればわかる)

玉置 高杉 町田(今作で知る)

岸谷 段田(わかる)